香十徳
感格鬼神(かんはきじんにいたる)感覚を鬼神のように研ぎ澄まし
清浄心身(こころをきよらかにす)心身を清く浄化する
能除汚穢(よくけがれをのぞく)穢れを取り除き
能覺睡眠(よくねむりをさます)よく眠りを覚まし
静中成友(せいちゅうにともとなる)静けさの中に安らぎをもたらし
塵裏偸間(ぢんりにひまをぬすむ)忙しい時にも心を和ませ
多而不厭(おおくしていとわず)多くあっても邪魔にならず
寡而為足(すくなくしてたれりとなす)少なくても十分に香る
久蔵不朽(ひさしたくわえてくちず)年月を経ても朽ちず
常用無障(つねにもちいてさわりなし)常に用いても障りはない
草根木皮や動物性香材などの天然香原料だけを吟味し、その広大深淵なる匂いを秘伝の調合で、清浄感に満ちたゆかしき香気に昇華する。
人工的な合成香料を排除し、純粋でまどいのない香りの本質を表現した香を清らかな焚香のシーンに。
2連休だったのですが特にする事が無かったのでNETFLIXで映画、ドラマ、ドキュメンタリー、アニメ三昧の連休を過ごしてました。
見続けると結構疲れるので運動がてら東本願寺周り京都タワー経由西本願寺周りで2km位をカメラを持って散歩。
東本願寺では何か凄い人だかりで中から大勢の僧侶の大きな声のお経が聞こえてきた。
エイジアって感じだった。写真は禁止だった。
銀杏がキレイだった
この画像では分からないがよく見ると彫刻が細かい
いつみても圧巻な建築物。
烏丸七条西北の公衆トイレと銀杏
塩小路烏丸から北向きをなんとなく
どこかの路地のアパートポストの規則的な並びが気になって
イカツイ彫刻
綺麗な刺繍もの
理髪店の壁の下あまり見たことのないタイル
このブログではアップにできないが、画像を拡大していくと白い産毛まで繊細に描写されている。
今にもその産毛がなびきそうな位にリアル。
モンスターカメラと言われているのがよく分かる。
一眼が欲しかったが予算の上限の関係で安い一眼ならいいコンデジと言う思いもありDP3MERRILLにしたが充分すぎる。
しばらく一眼は要らないかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嘘。
本当はシャッター押すだけで素早くキレイに撮れる一眼欲しいけれど我慢してます。
手に入らない喜びという訳の分からないエクスタシーに浸っています。
しかしこのDP3MERRILLは良くも悪くも凄い。
まずクセが強くて全然キレイに撮らしてくれないけどドンピシャにはまるとたちまち凄まじくいい写真になる。
その快感が忘れられないのでツイツイ触ってしまう。
良い角度や距離を狙いすまし、シャッタースピードと絞りを設定、このカメラのオートフォーカスはかなり遅く全然ピント合ってくれないのでマニュアルで調整して、それから撮る・・・・・・・・一枚撮るのに時間がものすごくかかる。
しかも気に入らなければまた設定を調整し直す。
それでも思い通りに撮れなければ諦めるという潔さも必要なカメラ。
一眼よりは小さいが、全然コンパクトではないのでポケットや小さいバックでは入らないので常に持ち歩くのはムリ。
難しくて面白くカメラと写真の事が好きになったカメラなので良い買い物だったと思う。
タイトルはどこかのアイドルグループの歌のタイトルみたいだが、これはお店の扉。
この硬い木には難儀した。この木は小、中学校時代の後輩が練習で彫ってみたらどうですか?と現場から拾ってきたテーブル。
最初は練習で軽く彫るつもりだったが、過酷すぎてまた一からこれをやる気は皆無。
毎日数時間ひたすらノミで深く削って凹凸をつけ陰影を出したくて寒い冬に手がおかしくなる位金槌でノミを叩いた。
集中力が切れると手元が狂い金槌で指を叩いて悶絶も数回した。
心が折れそうになるが終わりの見えている事なので頑張れた。
腕のいい大工さんに枠とノブと鍵をつけてもらい。
2か月間かけてできた世界にひとつだけの自作の扉。
夜になると照明があたる感じもまた良い。
彫った木目が色々なモノに見えたりもするらしい。
話は変わるが人間は永遠と終わりのないと思わせるような苦を感じると心が折れ、終わらせるという事とは「死」という事に辿り着く。
そこで冷静に自分を見る事ができればこの世に終わりのないものなどはなく、他にも道がたくさんあるという事に気づく。
というお話。
スピーカーには全然詳しくないのですがとてもお気に入りのスピーカーの一つです。
どこから音出てるの?ともよく言われます。
F10 1.3秒 ISO100
F10 3.2秒 ISO100
昭和五十年代
西大路通の質屋を入った所 少し入っていくと奥にはポリバケツに漬物が浸かり糠の匂いが辺りを漂っている商店。 そこには果物や野菜、駄菓子などが売られている。さらに奥へ進めば銭湯などがあるいわゆる下町。
西大路通から入るとその通りを挟み南北に無数の路地がありその中の一つの路地をどんつき右に折れると、表にはジャングルかという位の植物が所狭しと並んでいる。 そこに一軒の小さな家がある。
扉をガラガラと引くと土間になっており、左に急な階段、奥の左手には便所、右側には10畳程の広間と奥に四畳程の寝床、そして便所から石の階段を降り土間を挟み石の階段を上がると小さな台所が10畳の広間と繋がって いる。 そして急な階段を上ると2畳程の部屋がありそこを通りベランダへと通じている。もちろん風呂などはない。
その狭いところに正月ともなると右派寄りの男やインテリな男、さらしを巻いた常に姿勢を正した武士のような男、職人風の男や大学生、今でいうOLという風貌の女性まで、幅広い人々とその家族達が明治生まれで終戦からだいぶ経ているが戦争嫌いの戦争(旧ビルマ(現ミャンマー)、中国)帰りの元陸軍兵士(義弟が目の前で戦死したり戦後、戦友に騙されたりと戦争の事は聞いても話したがらない)の家主の小さな家に数十人が入り乱れ足の踏み場もない位の大人、子供が押し寄せる。
子供も貰ったお年玉を元手に家主の妻が親となりカブに花札、大人も酒、花札、カブ、麻雀などで盛り上がっている。 最終は子供の負けたお金はその家主の妻が返してくれるのだが。
大人達は勝った人が負けた人に奢るというルールになっている。
大人達にある程度の酒がまわってくると、右派寄りの男が「兵隊さんよありがとう」という歌の替え歌を歌いだす。
先ほどまでバラバラな事をしていても何故かその瞬間は大人も子供も関係なく場の空気が一つにまとまる。
そこで家主の男が寝床から使い古した煙草盆を持ってきて煙管にハッパを詰め火を付ける。美味そうに煙を吐きその煙草盆に灰を捨てる。 そんな雰囲気を醸し出している煙草盆。
この話はフィクションです。
モノに魂が宿るという説を私は信じます。
F16 15秒 ISO100